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自然の絶景と名湯が楽しめる鈴鹿山脈のレジャー拠点「湯の山温泉」の歴史・周辺歴史スポットとは?

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この記事はwondertripが配信しております。自然の絶景と名湯が楽しめる鈴鹿山脈のレジャー拠点「湯の山温泉」の歴史・周辺歴史スポットとは?

別名「鹿の湯」と呼ばれていた

別名「鹿の湯」と呼ばれていた
湯の山温泉の歴史の始まりは養老2年(718年)。傷ついた鹿を山で発見した1人の木こりが心配して鹿のあとをつけていくと、鹿は谷川に傷ついた足をつけ休息していました。そこに鹿を狩ろうとしていた狩人を見つけた木こりは、大声をあげて鹿を逃がしてやります。その後木こりの元へやってきた鹿はお礼を言い「あのくぼみにはけがに効くお湯が沸いている」と告げると、その話は遠い村や町にまで広がることになったのです。そうした昔話から「鹿の湯」と呼ばれることも。

その後1568(永禄11年)に織田信長による伊勢進攻で三岳寺が焼き討ちに遭ってしまい、温泉は衰退する時代を迎えることに。しかし江戸時代の元禄年間に入ると廃泉を復興する動きが高まり、この頃には八軒の湯治宿が存在するように。明治に入った「西南戦争」のあとは戦傷病者療養所の指定を受け、杉屋(湯の山温泉にあった旅館)、橘屋、三嶽寺が臨時宿泊所として負傷兵の受け入れを実施。そこで治療を受けた将兵らが地元へ帰った際に温泉などを称賛、そこから再び来場者が増えていくことに。

1950年(昭和25年)には愛知国体の登山競技開催地になったことから新しい旅館が建設、1959年(昭和34年)に「御在所ロープウェイ」が開通すると年間観光客が100万人を超える人気観光地に。その間には昭和天皇・香淳皇后が宿泊したり、湯の山温泉に滞在した志賀直哉が短編『菰野』の舞台にしたり、多くの有名人が訪れたことも。2018年( 平成30年)には開湯1300年を迎える予定で、現在は「温泉博覧会」などの行事が計画されています。

温泉の名所の1つ「御在所ロープウェイ」

温泉の名所の1つ「御在所ロープウェイ」
湯の山温泉の名所の1つが空中散歩を楽しめる「御在所ロープウェイ」。1959年(昭和34年)4月29日に開業したロープウェイは現在まで累計4000万人以上が利用するスポットで、途中には温泉街や四日市市街地、伊勢平野などが望めることも。山頂部にある御在所岳唯一のスキー場「御在所スキー場」は冬季に滑るのはもちろん、雪のない時期は緑あふれる中の散歩で絶景を楽しめます。

ロープウェイで一番の目玉は御在所岳の標高約940m地点に建つ正式名「6号支柱(ろくごうしちゅう)」と呼ばれる塔。高さ61mのこの塔はロープウェイ完成当初はほかの塔と同じ緑色でしたが、1964年(昭和39年)に白色に塗り替え。現在まで御在所ロープウェイのシンボル的存在に。ゴンドラに乗りながらすぐに見つけることができますね。

2018年(平成30年)で開業60周年を迎えるロープウェイでは2017年(平成29年)から大きな改修を始めており、新型ゴンドラの導入、御在所岳山頂の展望レストラン、山麓駅舎の大規模改修を実施予定。展望レストランの規模は2階建ての面積469平方メートルの予定で、新レストラン完成後は現在のレストラン(旧山上ホテル)を展望デッキに改修予定。これらは2018年(平成30年)7月のリニューアルオープンを目指しています。

現在は恋結びの寺として人気「三嶽寺」

現在は恋結びの寺として人気「三嶽寺」
温泉周辺には歴史的な寺院が多く残されています。湯の山温泉に存在する天台宗・山門派の寺院「三嶽寺(さんがくじ)」は807年(大同2年)に最澄によって開かれたと伝わる寺院。もとは鈴鹿山脈の国見岳にあった寺院ですが、1568年(永禄11年)に織田信長の命により押し寄せた武将・滝川一益(たきがわいちます)の軍勢に攻め込まれ、多くの建物が兵火により焼失。寺院は跡形もなく消えてしまいます。

再建が進んだのは時代が江戸時代となった1686年(貞享3年)、当時の菰野藩主・土方雄豊(ひじかたかつとよ)が現在の場所に薬師堂を建立したことで再建。比叡山の末寺として1720年(享保5年)に寺号山号が許可された際の住職・真静が寺中興の祖になり、その後本堂が焼失して1815年(文化12年)に再建。

現在の寺院は「パワースポット」としても知られており、江戸時代からの伝承「折鶴伝説(仏の化身として現れた僧兵の言葉に心中を思い止め礼に折鶴を奉納、願掛を行ったところ恋愛成就したという説)」の存在する「恋結びの寺」として人気。毎年春には折鶴に願いをたくす「折鶴祈願奉納」、10月には火炎みこしが温泉街を練り歩く「僧兵まつり」が開催。ぜひここでご縁を引き寄せたいですね。住所:三重県三重郡菰野町菰野8550

猿田彦神を祀る神社の総本社「椿大神社」

猿田彦神を祀る神社の総本社「椿大神社」
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は三重県では伊勢神宮・二見興玉神社に次いで3番目に参拝者数が多いとされる神社で、猿田彦神(さるたひこのかみ)を祀る神社の総本社。創建は垂仁天皇27年(紀元前3年)とされており、垂仁天皇の娘である倭姫命(やまとひめのみこと)に下った神託(しんたく。神のお告げ)によって猿田彦神の墳墓近くに造営された社殿「道別大神の社」が始まりとされています。

1935年(昭和10年)に全国約2,000社の猿田彦神を祀る神社の総本社「地祗猿田彦大本宮」と認定されており、分社としては1987年(昭和62年)に北米初の神社としてアメリカ・カリフォルニア州ストックトンに創建された「アメリカ椿神社」が存在。神社は2001年(平成13年)からワシントン州シアトル近郊のグラニット・フォールズに移転していますが、国外まで影響力を及ぼすとは影響力が相当大きいですね。

現在の神社は猿田彦神が「天孫降臨(てんそんこうりん。天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けた孫・邇邇藝命(ににぎのみこと)が高天原(たかあまはら)から高千穂峰(たかちほのみね。宮崎県と鹿児島県の県境に位置する火山)に天降ったこと)」の道案内をしたことから縁結びや交通安全、厄除けなどのご利益がある「パワースポット」としても有名。そのほか芸事・鞠の守護神としても知られており、芸能人やプロスポーツ選手の参拝も多数いるとされています。

象の並びが全国的にも珍しい「竹成五百羅漢」

象の並びが全国的にも珍しい「竹成五百羅漢」
竹成五百羅漢(たけなりごひゃくらかん)は菰野町の「大日堂」境内にある多くの石仏で、1967年(昭和42年)に三重県指定の史跡となった像。1852年(嘉永5年)に竹成出身の僧・照空(神瑞)が桑名の石工・石長こと藤原長兵衛一門に建立を依頼、1866年(慶応2年)に620体を完成させたと伝わっています。

小高く持った丘の上にある石像群は「釈迦三尊(しゃかさんぞん。仏教における仏像安置の形式のひとつ)」を主尊とする羅漢(らかん)像、大日如来(だいにちにょらい。)を中心とする密教系の明王などで構成。そのほか三蔵法師、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、南側に閻魔大王、北側には天照大神(あまてらすおおみかみ)などの石仏が並んでおり、石の神様と仏様が並ぶ「神仏混淆(しんぶつこんごう。神仏習合とも呼ぶ)」の様子は全国的にも珍しいもの。

その後1876年(明治9年)に地租改正反対勢力が起こした「伊勢暴動」によって大日堂が焼かれると「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく。仏教を排除して寺などを壊すこと)」の影響で破壊、仏が持ち去られ像は469体に減少。住所:三重県三重郡菰野町竹成1937

毘沙門天像を祀る「福王神社」

毘沙門天像を祀る「福王神社」
福王神社は鈴鹿山脈近くにある標高598mの山・福王山の山麓にある神社。社伝(しゃでん。神社の由来・来歴などを記した資料)によるとこの地では576年(敏達天皇5年)、百済(くだら。古代の朝鮮半島南西部に存在した国家)からやってきた仏師・安阿弥が勅(みことのり。天皇の仰せ)を受けて毘沙門天を彫り、それがのちに聖徳太子の命によって福王山に安置。国の鎮護と伊勢神宮の守りにしたとされています。

境内にある杉の大木の中でも「太子杉」と呼ばれる杉は樹齢1000年を越えるものとして有名。神社のある福王山は「天狗信仰」にまつわる伝説が残ることから参道には天狗像の姿もあり、毎年4月と10月の大祭では天狗によるお祓いを実施。神社では毎月3の付く日(3日、13日、23日)を縁日としてにぎわいを見せており、「パワースポット」敏江訪れたいですね。住所:三重県三重郡菰野町田口2404

菰野藩・土方氏の菩提寺「見性寺」

菰野藩・土方氏の菩提寺「見性寺」
見性寺(けんしょうじ)は三重県菰野(こもの)町菰野にある臨済宗・妙心寺派の寺院。1644年(寛永21年)に菰野藩第2代藩主・土方雄高(ひじかた かつたか)が後に孝明天皇から紫衣(しえ。高官のみが着用できた紫色の服)と禅師(ぜんじ。高徳な僧侶が受け取る称号)の号を受け取ることになる僧・三霊を尾張国(現在の愛知県西半部)から招き、土方氏の菩提寺として創建したのが始まり。

寺院は1669年(寛文9年)の火災により庫裡(くり。禅宗寺院の台所にあたる場所)が焼失しますが、1726年(享保11年)に藩主・土方堆房が本堂、庫裡、山門を再建。現在の寺院には藩主の愛用した鎧甲、旗などの文化財、第3代藩主・雄豊夫人が寄進した梵鐘(1663年(寛文3年)に京都の鋳物師によって造られたもの)が残されており、境内にある「西国八十八ケ所」は1919年(大正8年)に設けられたもの。現在の寺院は桜やつつじの名所としても有名になり、毎年4月には稚児行列などが行われる「弘法まつり」が開催、多くの参詣者で賑わっています。住所:三重県三重郡菰野町菰野158
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